large-scale mtDNA screening reveals a surprising matrilineal complexity in east asia and its implications to the peopling of the region
Qing-Peng Kong, Chang Sun, Ya-Ping Zhang et al.
Mol.Biol.Evol. 28(1):513-522, 2011
最近の東アジアmtDNA研究について、大規模なデータを用いた論文を見つけたので読んでみる。
中国各地の84カ所から、6093例ものmtDNA配列(control regionのすべてと、coding regionの一部)を集め、51の新規のハプログループを同定し、そのうち5つはMおよびNから直接分岐するものであった。
南中国においてM7から分岐する新規のハプログループを多数見つけたが、これらはすべてかつての百越(Bai-Yue)であり、現在の広西チワン族自治区(Guangxi)、雲南省(Yunnan)に存在していた。これらはM7b M7cと分岐しており、以前の研究の通りM7b M7cが南中国で発生したということを裏付けていた。
M74 M76は南中国で発生したと考えられた。
M71は南中国の中でも、以前中国北西部のていきょう族 氐羌(Di-Qiang)から南中国へ移住してきた民族に見られた(普米(プミ)族(Pumi)納西(ナシ)族(Naxi)摩梭(モソ)族(Mosuo)拉(示古)ラフ族(lahu))。しかし、もとの中国北西部ではM71は発見されておらず、南中国への移住後に遺伝子浮動があったと考えられた。
N10について、N10aは氐羌族の子孫に見られたが、この多様性は低く、創始者効果と考えられた。N10bは広東、上海、江蘇という中国南方に見られており、南方由来と思われた。
N11について、N11aは雲南あるいはその近隣において10例認めたが、N11bはただ1例のみ、北東中国の鄂倫春(オロチョン)族(Oroqen)に認められた。全体的には南方由来と思われる。
これらのハプログループは、日本、韓国、北アジアからの報告からは1例も認められなかった。
これらのかなり古くに分岐したと思われるハプログループ(新規に報告したM74 M75 M76 N10 N11 およびM71)をもとに、今まで東アジア、東南アジアから報告され、ハプログループ不明となっていたもの(M* N* R*)の再検討を行ったところ、東南アジアにこれらのハプログループが存在することがわかった(M75は不確実なものをフィリピンで1例のみ認めた。N11は認めなかった)。
この6つのハプログループはMまたはNから直接分岐していると考えられ、これらは東南アジアには4つしか認めなかった。これは単にサンプル数の違いではなく、南アジアにこのハプログループの源流があるからと考えられる。その理由は、1)南アジアと東南アジアの7000以上に及ぶサンプルにこのハプログループからの分岐を認めなかったこと。2)日本、韓国、北アジア、東南アジアから報告されたハプログループは中国にさらに根源的なタイプを見いだすことができ、東南アジアのものは多くは枝葉的なものと見なせること。3)東南アジアから報告されたこれらのハプログループは歴史的に中国少数民族との関連を見いだすことができること。である。
これらのハプログループは、まず東アジアに居住したと考えられ、東南アジアなどからの流入とは考えにくかった。そしてこれらのハプログループの分岐時期は古く、後期更新世と思われた。
遺伝子学的な近年の研究により、現世人類は最初東アジアの南方に居住し、それから北方へ移住したいう説がとなえられているが、今回の研究もこの説を支持する。現代の遺伝子分布には漢族(Han)の拡大と農業の伝播が影響している。また、今回の報告により、南中国(とくに南西中国)が初期において重要な遺伝子学的なリザーバーになっていた可能性が示唆された。
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以下この論文読んでの感想。
かなり早期に南中国への居住があり、そこから東アジア各地へ移住が行われたことを示唆する報告と思われる。
出アフリカ以後の人類の動きについては、いわゆるビーチバギーモデルと言われる、海岸に沿って急速に拡散したという説がある。紅海の南端を渡り、現在のアラビア半島の南岸を通り、寒冷期には干上がっていたペルシャ湾を通過すればあっという間にインド西部まで到達する。しかし、そこからの人類の動きははっきりとはしていない。
ニューギニアおよびオーストラリアへ早期に拡散した人類はビーチバギーでも説明できるかもしれない。しかし、インド西方からの拡散は海岸沿いだけでなく、ヒンドゥスターン平野を通るルートも想定され、その東端からブラマプトラ川あるいはサルウィン川をさかのぼりチベットあるいは南中国へ拡散するルートも考慮される。
このようなルートは距離的には海岸をつたっていくより遙かに近い。
実際、チベットや雲南にはかなり早期から人類が居住していたことが示唆されている。このような地域にまず人が住み、そこから東アジア全体へ拡散していく様子が想像される。
この報告では、南中国で見つかった分岐の古いハプログループが、南中国発祥であることを示し、そのことから南中国が東アジアで最初期に人類が居住した地であることを述べている。
他の報告によればチベットにYchハプロタイプDの極めて古いタイプが存在していたり、南中国の人類居住の古さを示唆するものは多い。
いちど雲南やチベットに人が入れば、長江を伝って中国東岸に達することができる。また、寒冷気候においてはチベットから朝鮮半島までステップ地帯が広がっていたとも考えられ、人の往来はかなり自由となる。
このことから、最初に日本に到達した現世人類は、東インドから直接雲南やチベットに入り、そこから中国を横断して、おそらくは朝鮮半島、あるいはサハリンから移住したと想像される。(このころ、ステップ地帯はチベット-北朝鮮-サハリン付近まで広がっており、この間での人類の拡散はかなり容易であった可能性がある。なので、日本半島に朝鮮半島、サハリン経由でほぼ同時に人類が進入したこともありうる。この場合、日本を含み環日本海で比較的相似の文化圏を作っていたことも想定する)。
この論文ではN10 N11を南方由来としている。インドを境に、西にNが行き、東にMが行き、東に行ったNはほぼすべてがNから派生したRより派生した、「ロハニの娘」であるというのが大筋では正しいので、南方由来のN、というのはかなり意外なものである。N10 N11はつまりRと分岐する前のNの枝であるので、相当に古い由来を持っていることがわかる。