現状のところ、人類史および日本への拡散について管理者が学習してゆくブログです。
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40000年前ころのヨーロッパに残されたすばらしい洞窟壁画は、現在知られている限り人類最古の絵です。ごく最近、インドネシア・スラウェシ島に残された絵画もほぼ同じ時期に描かれたことが判明し[1]、アフリカを出て世界に拡散したサピエンスは、各地で芸術を開花させたのだと思われます。
しかしそれ以前は、サピエンスにしてもネアンデルタールにしても、線刻や装飾品はあっても、絵を描いた痕跡はありません。ところが、同じホモ・サピエンスが、アフリカを出たらなぜか絵を描くようになります。いったいどうしたんでしょうか。そもそも、ヒトは見たものを認識し、記憶することはできても、それを絵に描くことはなかなかできないものです。ところが、見たものを正確に記憶し、簡単に描いてしまえるヒトがときどきいます。
このような「絵を描くヒト」は認知のタイプが違います。教育などでは、言語優位/視覚優位、という分類が用いられることがありますが、視覚優位とされていたヒトは、さらに芸術家タイプと技術者タイプに分かれます。この芸術家タイプ、物体視覚思考者(Visual-object)は見たものを視覚的に認知する能力が特別高いのです。
ものを見る時に、色や形、大きさ、明るさを認識する経路は後頭葉から下側頭葉に向かう腹側視覚路(ventral stream, object pathway)であり、ものの場所や動き、位置関係やその変化を認識する経路は後頭葉から頭頂葉に向かう背側視覚路(dorsal stream, spatial pathway)であり、それぞれ区別されることが以前より知られていました。
(wikipediaより改変)
2002年、Maria Kozhevnikovは、それまで「視覚優位」と言われていたヒトが、空間認知能力が高い群と低い群の二峰性に分布することを示し、これらを別グループに分けることを提唱しました[2]。
その後の研究で、視覚優位群には、「物体視覚思考者」(Visual-object)と、「空間視覚思考者」(Visual-spatial)がいることが判明しました[3]。物体視覚思考者はものの色や形など外観をとらえるのに優れ、腹側視覚路が優位に使われています。一方、空間視覚思考者はものの空間的な位置関係をとらえるのに優れ、背側視覚路が優位です。
物体視覚思考者は、Degraded Pictures Test(細かい線模様で隠された絵を見つけだす)、VVIQ(Vividness of Visual Imagery Questionnaire: 想像できるものの鮮明さを尋ねる)が高得点であり、空間視覚思考者は、Paper Folding Test(展開図から組み立てられた立体の見え方を推測させる)、Mental Rotation Test(物体が回転したときどのように見えるかを推測させる)が高得点です。
さらにKozhevnikovは物体視覚思考者と空間視覚思考者を弁別するための質問票を作成し[4,5]、上記の認知テストの結果とあわせてヒトの認知能力の分析を行い、ヒトは「言語思考者-視覚思考者」と分けるよりも、「言語思考者-物体視覚思考者-空間視覚思考者」の3つに分ける方がテストの結果を説明しやすいことを示しています[5]。
そして、この物体視覚(Visual-object)と空間視覚(Visual-spatial)の能力は、トレードオフ、つまりどちらかが得意であればもう片方は苦手、という関係にあります[6]。Kozhevnikovが作成した質問票の日本語版が川原正広先生、松岡和生先生によって作られており[7]、これを日本の大学生に施行した結果があります[8]。
( [8]より引用)
art、すなわち芸術家は、物体視覚(Visual-object)に優れ、空間視覚(Visual-spatial)は苦手、engineering、すなわち技術者はその反対です。両者が得意、ということはなく、このためにヒトは同時に芸術家と技術者になることはできません。Visual-objectの高いヒトが芸術家すなわち「絵を描くヒト」であり、その他は「絵を描かないヒト」なのです。
ショーベ洞窟などに見られる写実的な絵は、Visual-objectの強みである、見たものをそのまま正確に記憶できる能力、の顕れであろうと考えます。脳裏にやきついた野牛の姿をそのまま壁画に写すことなど、Visual-objectにとってはたやすいことでしょう。
ではなぜそれまで芸術家は現れなかったか。絵を描くヒト、Visual-objectがいなかったのではないか、と考えます。Visual-objectはサピエンスが出アフリカを果たす過程で出現し、彼らが最初の絵画芸術を誕生させた、という仮説を提示したいと思います。
Visual-spatialは空間座標をもとに脳内地図を作る能力であり、古い由来を持っていると思われます。脳の中では、グリッド細胞が格子状の座標を作り、場所細胞が自分の移動した軌跡を再現しますが、このシステムはマウス、コウモリ、サル、ヒトで確認されています[9]。マウスはエサのあるところまでの迷路を巧みに解く能力があります。
空間を基準にものを捉える能力は、自分を基準にする能力より早く発達します。4歳のこどもと7歳のこどもに下のようなテストをやってみると、
(([10]を参考にして作成))
4歳のこどもは空間座標でものを捉え、7歳のこどもは自分座標でものを捉えることがわかります。同じテストを類人猿にやってみると、彼らも空間を基準にものを捉えていることがわかります。
アフリカのハイコム語、オーストラリアアボリジニのクウク語などでは空間座標の言葉はあっても、自分中心の座標、つまり、「前後左右」という言葉がありません。彼らは、見知らぬ景色やなじみのない建物の内部であっても、自分の位置を把握するのが著しく上手[11]であり、Visual-spatialに卓越していると思われます。
これらより、哺乳類、類人猿、狩猟採集民族においては、Visual-spatial優位であると推定します。
ただ、Visual-object的な能力は、見たものが何であるかを見極めるために不可欠な能力であり、Visual-spatial的な能力とVisual-object的な能力はちょうどいいバランスで進化してきたものと思われます。Visual-object能力が高い個体もあったでしょうが、Visual-spatial的な能力に支障をきたすほどVisual-object的な能力が上がってしまうと、脳内地図が作れないなど、生存上の不利が生じ、淘汰されてきたのであろうと思います。
絵画芸術が出アフリカの後で出現したのなら、出アフリカによって何が変化したのでしょうか。サピエンス黎明期のアフリカには見られず、出アフリカ後に見られる要素として、
・人口増加と部族内での分業化
・旧人との接触
・離散傾向
を挙げ、これらとVisual-objectとの関係について考えてみます。
人口が増加し、部族内の人口も増加すれば、分業が進むと考えられます。そうすれば、Visual-objectはより生きやすくなります。狩猟のような苦手部門をVisual-spatialに任せられれば、芸術などの得意分野で本領を発揮でき、それが部族全体の利益になりうるからです。
芸術とは言葉を超えて何かを伝える力です。言語はおそらく最初は同じ部族内でのコミュニケーションとして発達してきたものと思われますが(当ブログでは、言語の発達はエレクトスからハイデルベルゲンシスになる過程で起こったもの[記事参照]と考えております)、部族を超えたコミュニケーション、特にネアンデルタールやデニソワとのコミュニケーションにVisual-objectが何かの役割を果たしたことは想像されます。
Visual-objectは自分中心の座標を持つので、もともとの土地から完全に切り離された状況でも自分中心の座標で生活することができます[10]。ものの見方からすれば「個」の視点が強いとも考えられ、Visual-spatialに比べて住む土地への執着は低く、離散傾向が高いということも考えられます。また、Visual-objectは新しい土地で見慣れないものをいちはやく認識し、記憶できる可能性があり、食料採取あるいは危険回避に有利であった可能性があります。
言語、他部族との交流、部族内での分業、というのはいずれも極めて高い認知能力のあらわれです。ここまで認知が高くないとVisual-objectは真価を引き出し得ないのかもしれません。しかし一方で、Visual-object的な能力は以前から持っていたものであり、この配分が少し変わって、認知の中心がspatialからobjectになる、というのは些細な変化で起こりえるものと思われます。
コミュニケーションがVisual-objectの発達を促し、そのようなヒトの離散傾向が高かったため、出アフリカを果たした人々の中にはVisual-objectが相当色濃くなっていた、というシナリオを想定します。彼らの中ではっきりとVisual-objectの傾向が強いヒトが高度な専門性を発揮して絵画芸術を誕生させたのだと考えます。
Visual-objectあるいはVisual-spatialというのはどのように分かれてくるものなのでしょうか。特にVisual-spatialの特徴であるmental rotationは、男性優位という性差が明らかであったため、社会文化的な影響が少なからずあるという意見もありました。
mental rotationやpaper folding testについてはtwin studyが解析されており、両者とも遺伝的な影響はあり[12]、mental rotationについては遺伝的影響が女性で55%、男性で53%とされています[13]。Visual-spatial/Visual-objectには社会的学習だけでなく、やはり遺伝的影響が大きく認められるようです。
それでは、どの遺伝子が関わっているのでしょうか。認知に関わる遺伝子は多数の遺伝子がわずかずつ影響しているため、遺伝子の同定は困難です。
2014年、GWAS解析と、pathway解析サービスであるIngenuity[14]を組み合わせることで、ヒトの主要な知能構成要素である、結晶性知能(crystalized intelligence:gC)と流動性知能(fluid intelligence:gF)のそれぞれについて、関与している遺伝子群を示した研究が発表されました[15]。
結晶性知能は有意差を持つ遺伝子群をいくつか同定できたのですが、流動性知能については有意差を持つほどの遺伝子群は同定できず、その原因のひとつとして著者らは、流動性知能は構成要素が多く、「知覚」(perceptual)と「mental rotation」に二分されるからだ、と述べています。
mental rotationにターゲットを絞れば、関与する遺伝子群は明確に示せるのかもしれません。もしmental rotationに関わる遺伝子群を同定できれば、それはおそらくVisual-spatialに関わるものです。その結果を旧人のゲノムに適用することができれば、旧人のVisual-spatial能力についての知見が得られるでしょう。
初期新人の洞窟に残された写実的な絵画は、それまでの線刻や装飾品とは質的な違いがあり、Visual-objectの特性が顕れたものと考えます。人類の芸術の誕生については、Visual-objectという認知特性を踏まえた上で議論すべきものであろうと思います。
(参考文献)
1)M.Aubert et al: Pleistocene cave art from Sulawesi, Indonesia: Nature 514:223(2014)
2)Maria Kozhevnikov et al:Revising the Visualizer-Verbalizer Dimension: Evidence for Two Types of Visualizers: Cognition and Instruction 20:47(2002)
3)テンプル・グランディン リチャード・パネク: 自閉症の脳を読み解く:pp216:NHK出版
4)Olessia Blajenkova et al: Object-Spatial Imagery: A New Self-Report Imagery Questionaire: Applied Cognitive Psychology 20:239(2006)
5)Olessia Blajenkova, Maria Kozhevnikov: The New Object-Spatial-Verbal Cognitive Style Model: Theory and Measurement: Applied Cognitive Psychology 23:638(2009)
6)Maria Kozhevnikov et al: Trade-off in object versus spatial visualization abilities: restriction in the development of visual-processing resources: Psychonomic Bulletin & Review 17:29(2010)
7)Masahiro Kawahara, Kazuo Matsuoka: Development of a Japanese Version of the Object-Spatial Imagery Questionnare(J-OSIQ): Interdisciplinary Information Sciences 18:13(2012)
8)Masahiro Kawahara, Kazuo Matsuoka: Object-Spatial Imagery Types of Japanese College Students: Psychology 4:165(2013)
9)Joshua Jacobs et al: Direct recordings of grid-like neuronal activity in human spatial navigation: Nature Neuroscience 16:1188(2013)
10)今井むつみ: ことばの発達の謎を解く: ちくまプリマー新書191:pp148:筑摩書房(2013)
11)L. Boroditsky: 言語で変わる思考: 日経サイエンス2011年5月号
12)T.J.Bouchard,Jr et al: Genetic and Enviromental Influences on Special Mental Abilities in a Sample of Twins Reared Apart: Acta geneticae medicae et gemellologiae 39:193(1990)
13)Eero Vuoksimaa et al: Are There Sex Differences in the Genetic and Enviromental Effects on Mental Rotation Ability?: Twin Research and Human Genetics 13:437(2010)
14)Ingenuity: http://www.ingenuity.com/
15)A.Christoforou et al: GWAS-based pathway analysis differentiates between fluid and crystallized intelligence: Genes,Brain and Behavior 13:663(2014)