現状のところ、人類史および日本への拡散について管理者が学習してゆくブログです。
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40000年前ころのヨーロッパに残されたすばらしい洞窟壁画は、現在知られている限り人類最古の絵です。ごく最近、インドネシア・スラウェシ島に残された絵画もほぼ同じ時期に描かれたことが判明し[1]、アフリカを出て世界に拡散したサピエンスは、各地で芸術を開花させたのだと思われます。
しかしそれ以前は、サピエンスにしてもネアンデルタールにしても、線刻や装飾品はあっても、絵を描いた痕跡はありません。ところが、同じホモ・サピエンスが、アフリカを出たらなぜか絵を描くようになります。いったいどうしたんでしょうか。そもそも、ヒトは見たものを認識し、記憶することはできても、それを絵に描くことはなかなかできないものです。ところが、見たものを正確に記憶し、簡単に描いてしまえるヒトがときどきいます。
このような「絵を描くヒト」は認知のタイプが違います。教育などでは、言語優位/視覚優位、という分類が用いられることがありますが、視覚優位とされていたヒトは、さらに芸術家タイプと技術者タイプに分かれます。この芸術家タイプ、物体視覚思考者(Visual-object)は見たものを視覚的に認知する能力が特別高いのです。
ものを見る時に、色や形、大きさ、明るさを認識する経路は後頭葉から下側頭葉に向かう腹側視覚路(ventral stream, object pathway)であり、ものの場所や動き、位置関係やその変化を認識する経路は後頭葉から頭頂葉に向かう背側視覚路(dorsal stream, spatial pathway)であり、それぞれ区別されることが以前より知られていました。
(wikipediaより改変)
2002年、Maria Kozhevnikovは、それまで「視覚優位」と言われていたヒトが、空間認知能力が高い群と低い群の二峰性に分布することを示し、これらを別グループに分けることを提唱しました[2]。
その後の研究で、視覚優位群には、「物体視覚思考者」(Visual-object)と、「空間視覚思考者」(Visual-spatial)がいることが判明しました[3]。物体視覚思考者はものの色や形など外観をとらえるのに優れ、腹側視覚路が優位に使われています。一方、空間視覚思考者はものの空間的な位置関係をとらえるのに優れ、背側視覚路が優位です。
物体視覚思考者は、Degraded Pictures Test(細かい線模様で隠された絵を見つけだす)、VVIQ(Vividness of Visual Imagery Questionnaire: 想像できるものの鮮明さを尋ねる)が高得点であり、空間視覚思考者は、Paper Folding Test(展開図から組み立てられた立体の見え方を推測させる)、Mental Rotation Test(物体が回転したときどのように見えるかを推測させる)が高得点です。
さらにKozhevnikovは物体視覚思考者と空間視覚思考者を弁別するための質問票を作成し[4,5]、上記の認知テストの結果とあわせてヒトの認知能力の分析を行い、ヒトは「言語思考者-視覚思考者」と分けるよりも、「言語思考者-物体視覚思考者-空間視覚思考者」の3つに分ける方がテストの結果を説明しやすいことを示しています[5]。
そして、この物体視覚(Visual-object)と空間視覚(Visual-spatial)の能力は、トレードオフ、つまりどちらかが得意であればもう片方は苦手、という関係にあります[6]。Kozhevnikovが作成した質問票の日本語版が川原正広先生、松岡和生先生によって作られており[7]、これを日本の大学生に施行した結果があります[8]。
( [8]より引用)
art、すなわち芸術家は、物体視覚(Visual-object)に優れ、空間視覚(Visual-spatial)は苦手、engineering、すなわち技術者はその反対です。両者が得意、ということはなく、このためにヒトは同時に芸術家と技術者になることはできません。Visual-objectの高いヒトが芸術家すなわち「絵を描くヒト」であり、その他は「絵を描かないヒト」なのです。
ショーベ洞窟などに見られる写実的な絵は、Visual-objectの強みである、見たものをそのまま正確に記憶できる能力、の顕れであろうと考えます。脳裏にやきついた野牛の姿をそのまま壁画に写すことなど、Visual-objectにとってはたやすいことでしょう。
ではなぜそれまで芸術家は現れなかったか。絵を描くヒト、Visual-objectがいなかったのではないか、と考えます。Visual-objectはサピエンスが出アフリカを果たす過程で出現し、彼らが最初の絵画芸術を誕生させた、という仮説を提示したいと思います。
Visual-spatialは空間座標をもとに脳内地図を作る能力であり、古い由来を持っていると思われます。脳の中では、グリッド細胞が格子状の座標を作り、場所細胞が自分の移動した軌跡を再現しますが、このシステムはマウス、コウモリ、サル、ヒトで確認されています[9]。マウスはエサのあるところまでの迷路を巧みに解く能力があります。
空間を基準にものを捉える能力は、自分を基準にする能力より早く発達します。4歳のこどもと7歳のこどもに下のようなテストをやってみると、
(([10]を参考にして作成))
4歳のこどもは空間座標でものを捉え、7歳のこどもは自分座標でものを捉えることがわかります。同じテストを類人猿にやってみると、彼らも空間を基準にものを捉えていることがわかります。
アフリカのハイコム語、オーストラリアアボリジニのクウク語などでは空間座標の言葉はあっても、自分中心の座標、つまり、「前後左右」という言葉がありません。彼らは、見知らぬ景色やなじみのない建物の内部であっても、自分の位置を把握するのが著しく上手[11]であり、Visual-spatialに卓越していると思われます。
これらより、哺乳類、類人猿、狩猟採集民族においては、Visual-spatial優位であると推定します。
ただ、Visual-object的な能力は、見たものが何であるかを見極めるために不可欠な能力であり、Visual-spatial的な能力とVisual-object的な能力はちょうどいいバランスで進化してきたものと思われます。Visual-object能力が高い個体もあったでしょうが、Visual-spatial的な能力に支障をきたすほどVisual-object的な能力が上がってしまうと、脳内地図が作れないなど、生存上の不利が生じ、淘汰されてきたのであろうと思います。
絵画芸術が出アフリカの後で出現したのなら、出アフリカによって何が変化したのでしょうか。サピエンス黎明期のアフリカには見られず、出アフリカ後に見られる要素として、
・人口増加と部族内での分業化
・旧人との接触
・離散傾向
を挙げ、これらとVisual-objectとの関係について考えてみます。
人口が増加し、部族内の人口も増加すれば、分業が進むと考えられます。そうすれば、Visual-objectはより生きやすくなります。狩猟のような苦手部門をVisual-spatialに任せられれば、芸術などの得意分野で本領を発揮でき、それが部族全体の利益になりうるからです。
芸術とは言葉を超えて何かを伝える力です。言語はおそらく最初は同じ部族内でのコミュニケーションとして発達してきたものと思われますが(当ブログでは、言語の発達はエレクトスからハイデルベルゲンシスになる過程で起こったもの[記事参照]と考えております)、部族を超えたコミュニケーション、特にネアンデルタールやデニソワとのコミュニケーションにVisual-objectが何かの役割を果たしたことは想像されます。
Visual-objectは自分中心の座標を持つので、もともとの土地から完全に切り離された状況でも自分中心の座標で生活することができます[10]。ものの見方からすれば「個」の視点が強いとも考えられ、Visual-spatialに比べて住む土地への執着は低く、離散傾向が高いということも考えられます。また、Visual-objectは新しい土地で見慣れないものをいちはやく認識し、記憶できる可能性があり、食料採取あるいは危険回避に有利であった可能性があります。
言語、他部族との交流、部族内での分業、というのはいずれも極めて高い認知能力のあらわれです。ここまで認知が高くないとVisual-objectは真価を引き出し得ないのかもしれません。しかし一方で、Visual-object的な能力は以前から持っていたものであり、この配分が少し変わって、認知の中心がspatialからobjectになる、というのは些細な変化で起こりえるものと思われます。
コミュニケーションがVisual-objectの発達を促し、そのようなヒトの離散傾向が高かったため、出アフリカを果たした人々の中にはVisual-objectが相当色濃くなっていた、というシナリオを想定します。彼らの中ではっきりとVisual-objectの傾向が強いヒトが高度な専門性を発揮して絵画芸術を誕生させたのだと考えます。
Visual-objectあるいはVisual-spatialというのはどのように分かれてくるものなのでしょうか。特にVisual-spatialの特徴であるmental rotationは、男性優位という性差が明らかであったため、社会文化的な影響が少なからずあるという意見もありました。
mental rotationやpaper folding testについてはtwin studyが解析されており、両者とも遺伝的な影響はあり[12]、mental rotationについては遺伝的影響が女性で55%、男性で53%とされています[13]。Visual-spatial/Visual-objectには社会的学習だけでなく、やはり遺伝的影響が大きく認められるようです。
それでは、どの遺伝子が関わっているのでしょうか。認知に関わる遺伝子は多数の遺伝子がわずかずつ影響しているため、遺伝子の同定は困難です。
2014年、GWAS解析と、pathway解析サービスであるIngenuity[14]を組み合わせることで、ヒトの主要な知能構成要素である、結晶性知能(crystalized intelligence:gC)と流動性知能(fluid intelligence:gF)のそれぞれについて、関与している遺伝子群を示した研究が発表されました[15]。
結晶性知能は有意差を持つ遺伝子群をいくつか同定できたのですが、流動性知能については有意差を持つほどの遺伝子群は同定できず、その原因のひとつとして著者らは、流動性知能は構成要素が多く、「知覚」(perceptual)と「mental rotation」に二分されるからだ、と述べています。
mental rotationにターゲットを絞れば、関与する遺伝子群は明確に示せるのかもしれません。もしmental rotationに関わる遺伝子群を同定できれば、それはおそらくVisual-spatialに関わるものです。その結果を旧人のゲノムに適用することができれば、旧人のVisual-spatial能力についての知見が得られるでしょう。
初期新人の洞窟に残された写実的な絵画は、それまでの線刻や装飾品とは質的な違いがあり、Visual-objectの特性が顕れたものと考えます。人類の芸術の誕生については、Visual-objectという認知特性を踏まえた上で議論すべきものであろうと思います。
(参考文献)
1)M.Aubert et al: Pleistocene cave art from Sulawesi, Indonesia: Nature 514:223(2014)
2)Maria Kozhevnikov et al:Revising the Visualizer-Verbalizer Dimension: Evidence for Two Types of Visualizers: Cognition and Instruction 20:47(2002)
3)テンプル・グランディン リチャード・パネク: 自閉症の脳を読み解く:pp216:NHK出版
4)Olessia Blajenkova et al: Object-Spatial Imagery: A New Self-Report Imagery Questionaire: Applied Cognitive Psychology 20:239(2006)
5)Olessia Blajenkova, Maria Kozhevnikov: The New Object-Spatial-Verbal Cognitive Style Model: Theory and Measurement: Applied Cognitive Psychology 23:638(2009)
6)Maria Kozhevnikov et al: Trade-off in object versus spatial visualization abilities: restriction in the development of visual-processing resources: Psychonomic Bulletin & Review 17:29(2010)
7)Masahiro Kawahara, Kazuo Matsuoka: Development of a Japanese Version of the Object-Spatial Imagery Questionnare(J-OSIQ): Interdisciplinary Information Sciences 18:13(2012)
8)Masahiro Kawahara, Kazuo Matsuoka: Object-Spatial Imagery Types of Japanese College Students: Psychology 4:165(2013)
9)Joshua Jacobs et al: Direct recordings of grid-like neuronal activity in human spatial navigation: Nature Neuroscience 16:1188(2013)
10)今井むつみ: ことばの発達の謎を解く: ちくまプリマー新書191:pp148:筑摩書房(2013)
11)L. Boroditsky: 言語で変わる思考: 日経サイエンス2011年5月号
12)T.J.Bouchard,Jr et al: Genetic and Enviromental Influences on Special Mental Abilities in a Sample of Twins Reared Apart: Acta geneticae medicae et gemellologiae 39:193(1990)
13)Eero Vuoksimaa et al: Are There Sex Differences in the Genetic and Enviromental Effects on Mental Rotation Ability?: Twin Research and Human Genetics 13:437(2010)
14)Ingenuity: http://www.ingenuity.com/
15)A.Christoforou et al: GWAS-based pathway analysis differentiates between fluid and crystallized intelligence: Genes,Brain and Behavior 13:663(2014)
2015/1/3 推敲・修正 図をシンプルなものに入れ換えました
2015/1/4 The Neanderthal Genomeからの図が間違っていたので訂正しました。失礼しました。
BDNF(Brain-derived neurotrophic factor)というタンパク質があります。日本語では「脳由来神経栄養因子」と呼ばれ、その名の通り脳に発現します。特にヒトの高次機能に関わる前頭前皮質および記憶に関わる海馬に多く発現しており、中枢神経の成長と可塑性に関わるため、知能や記憶に関与するタンパク質と考えられています[1]。
このヒトBDNF遺伝子の196番塩基はGからAに変異したもの(BDNF G196A)があり、これは66番アミノ酸のVal(バリン)からMet(メチオニン)への変異を起こします(BDNF Val66Met)。2003年に、この変異がエピソード記憶の低下をもたらすことが報告されました[2]。Val/Val群、Val/Met群、Met/Met群にそれぞれWechsler Memory Scale, revised version(WMS-R)を行い、そのなかの、2つのストーリーを聞かせ30分後に内容をどのくらい覚えていたか、というエピソード記憶の結果は、
[2]より改変(健常者群のグラフのみを抽出)
このように、Met/Met群で点数が有意に落ちていました。この論文では原因として、海馬機能の変化、神経細胞樹状突起におけるBDNF発現の低下、神経細胞刺激後のBDNF分泌量の低下を示しています。
その後の研究で、BDNFは統合失調症、自閉症、アルツハイマー病など、認知機能に関わる多くの病気の感受性遺伝子であることが示されました。健康なヒトの認知機能に注目した比較研究も多数行われ、BDNF Val66Met変異があると、エピソート記憶(episodic memory)だけでなく、陳述記憶(declarative memory)、言語学習および記憶(Verbal learning and memory)など、言語性の記憶力が低下するという結果が出ています。さらには運動性の学習能力の低下、空間認識の低下、WAISの動作性IQ(performance intelligence)で差が出た[3]という報告すらあります。
このように、散々な結果が出ているBDNF Val66Metですが、この変異は実際どのくらいの頻度で見られるのでしょうか、PubMedのSNPでrs6265(BDNF G196A のコードナンバー)を調べてみると、
初期のサピエンスの特徴を残しているとされるアフリカのヨルバ族では
ほぼ全てがG/G(Val/Val)です。ヨーロッパ人、日本人、漢族の順でA(Met)がだんだん多くなってきます。
ネアンデルタールやデニソワはどうなっているでしょうか。UCSC Genome Browserでネアンデルタールとデニソワの配列を見てみます。
ネアンデルタールはVi33.26という1個体のみがここの配列を読まれており、2つのシークエンスの片方がT(Met)になっています。総合的なシークエンスではC(Val)とされていますが、解読のクオリティは低く評価されています。デニソワは1個体ですが、C/C(Val/Val)のようです。
The Neanderthal Genome[4]では、SNPの周囲をよりていねいに解読したデータも出ています。rs6265を検索、Jump to region in detailから、Resequencingを見てみると、
ここではC/C(Val/Val)と見ています。
ネアンデルタールとデニソワは、おそらくVal/Valです。ヨルバ族はほぼ完全にVal/Valです。そうなると、Val→Metの変異は、出アフリカ後に全世界にサピエンスが拡散する過程で数を増やしたものと考えられます。
これは非常に特徴的な分布であり、たとえばBDNFとともに以前から知能との関係がよく知られているCOMT(Catechol-O-methyl transferase)のVal158Metという変異では[5]、ネアンデルタールはA/G、ヨルバ族はA/A 9% A/G 45% G/G 46%、ヨーロッパ人はA/A 25% A/G 46% G/G 29%、とBDNFほどの明白な違いは見られません。
大きな疑問が出てきます。BDNF Val66Metはたしかに記憶力を減弱させる、ようです。それなら、出アフリカとともになぜ数を増やすことができたのでしょうか。初期の遺伝子浮動で大きく増えた可能性はありますが、少なくとも淘汰はされていません。この変異がそれなりの割合で現在に残っているのは、多くの疾患感受性遺伝子と同様に偶然の産物なのでしょうか。とはいえ、知恵を武器として生きるヒトとして、記憶力の低下が生存競争に与える影響は少なくないとも思います。
考えてみると、最初に示したエピソード記憶低下のグラフも、総IQでは差は出ていませんでした。とすると、研究の対象となったヒトたちはどこかで記憶力の低下の埋め合わせをしているのかもしれません。日本のBDNF Val66Metが欧米より多いことを報告した研究者は、BDNF Val66Metを持つヒトは何か秀でた能力があるかもしれず、今後の研究が望まれるとしています[6]。
そのような報告はまれなのですが、パーキンソン病患者では、Met変異のある方が、Tower of Londonの結果が良かったという研究があります[7]。これはplanning(計画性)が優れていることを示すとされます。2014年には、視覚-運動の適応能力を見るための研究がデザインされ、左右が反転して見えるメガネをかけて、画面に一瞬現れるマークをタッチするテスト、左右の壁にある7つのマークをタッチしながら長い廊下を歩くテストが行われました[8]。
[8]より改変
画面をタッチするテスト(Reaching)では、最初はVal群とMet群に差はありませんでしたが、数回やるとMet群の方がより早く成績が上がりました。歩きながらタッチするテスト(Navigation)では、最初はMet群の方が成績が悪いのですが、2回目に差はなくなりました。
このことをあわせて、Met群は、視覚-運動の適応能力がVal群に比べて優れている、と結論しています。
サピエンスは出アフリカ時に記憶力の代わりに計画性と適応能力を得た、と考えられればたいへんに面白いのですが、そう簡単に言うには問題もあります。
ひとつは、Met群における秀でた能力がまだあまりはっきりしないことです。計画性の向上はパーキンソン病患者に限定した研究です、また視覚-運動の適応能力の向上については、研究デザインがやや技巧的で相当に限定された能力だけを見ている可能性があります。
70歳程度の高齢者において、Met群は記憶をベースとした処理の切り替え(memory-based task switching)が向上していたという研究[9]もありますが、これも高齢者に限定した研究です。
ヒトの脳は何か不都合があれば他の能力で代償しようとするものですから、BDNFの変異についてもあらゆる手段で代償されているのかもしれません。もしそうであれば「記憶力の代わりになる秀でた能力」は非常に多岐にわたり、検出が困難にもなりえます。
もうひとつは、単一の遺伝子でものを語るのは危険ということです。そもそも知能は非常に多数の遺伝子がわずかずつ影響していると知られています[10]。
他の条件によってBDNF変異の作用が異なってくることもありえます。たとえば健常者と統合失調症患者においてBDNF Val66Metの影響を調べた研究[11]では、Benton Judgement of line orientation(視覚空間能力に関わる)において健常者と患者で反対の結果が出ているようにも見えます(健常者側のデータでは有意差は出ていませんが)。
近年は、大規模なbirth cohort研究(ある時期にある場所で誕生した原則すべてのヒトを追跡調査する研究)において、GWAS(Genome-Wide Association Study: 100万前後のSNPを同時に調べて全ゲノムにおける疾患感受性遺伝子の遺伝子座をスクリーニングする手法)が多数行われています。知能との関連も追求されていますが、いまのところ、知能と関連する遺伝子は同定できずにいます[12]。
これは現在解析の進んでいる分野であり、これから知能に関わる複数の遺伝子群が判明することが期待されます。
BDNFはヒトの知能と深く関わるタンパク質であり、BDNF Val66Metという変異はアフリカ人とネアンデルタール・デニソワには見られず、アジア・ヨーロッパでは多く見られます。
この変異がある群は、相対的に記憶力が低いことが知られています。それを代償するような秀でた能力は現在のところはっきりしませんが、計画力、視覚-運動の適応能力、記憶による作業の切り替え、において優れているとした研究があり、「頭の柔軟性が良い」可能性が示唆されます。
出アフリカをしたサピエンスは、ガチガチの記憶力に優れた頭脳よりも、しなやかな柔軟性に富む頭脳が必要とされた、という仮説は非常に魅力的です。
知能の研究も非常に進んでいる分野ですし、また今後はGWASなどの大規模研究による成果が次々と出て、それによって知能と関連する遺伝子のより正確な様子がわかってくると思われます。現在のサピエンスの知能について解明が進めば、ネアンデルタールやデニソワの知能についても言えることは増えるでしょう。
それでもBDNFは相当に特徴的で興味深い分子であり、他の遺伝子との関連も含め、今後旧人の知能を解明するために中心となってくるものではないかと考えます。
(参考文献)
1)Iva Dincheva et al: Impact of the BDNF Val66Met Polymorphism on Cognition: Implications for Behavioral Genetics: Neuroscientist 18:439(2012)
2)Michael F.Egan et al: The BDNF val66Met Polymorphism Affects Activity-Dependent Secretion of BDNF and Human Memory and Hippocampal Function: Cell 112:257(2003)
3)Tsai,S.J.et al: Association study of a brain-derived neurotrophic factor (BDNF) Val66Met polymorphism and personality trait and intelligence in healthy young females: Neuropsychobiology 49:13(2004)
台湾の19-21歳の看護学生114人が対象で、PIQが
Val/Val 113.1 Met/Val 103.3 Met/Met 107.7 であり、
Val/ValとMet/Valの間に有意差があったとしています。
4)http://neanderthal.ensemblgenomes.org/index.html
5)J.Savitz et al: The molecular genetics of cognition: dopamine, COMT, and BDNF: Genes, Brain and Behavior 5:311(2006)
6)Eiji Shimizu: Ethnic Difference of the BDNF 196G/A(val66met) Polymorphism Frequencies: The Possibility to Explain Ethnic Mental Traits: American Journal of Medical Genetics Part B 126B:122(2004)
7)Foltynie T et al: The BDNF Val66Met polymorphism has a gender specific influence on planning ability in Parkinson's disease: Journal of Neurology 252:833(2005)
8)Brain Barton el al: Paradoxical visuomotor adaptation to reversed visual input is predicted by BDNF Val66Met polymorphism: Journal of Vision 14:1(2014)
9)Patrick D.Gajewski et al: The Met-allele of the BDNF Val66Met polymorphism enhances task switching in elderly: Neurology of Aging 32:2327(2011)
10)G Davies et al: Genome-wide association studies establish that human intelligence is highly heritable and polygenic: Molecular Psychiatry 16:996(2011)
11)Beng-Choon Ho el al: Cognitive and Magnetic Resonance Imaging Brain Morphometric Correlates of Brain-Derived Neurotrophic Factor Val66Met Gene Polymorphism in Patients With Schizophrenia and Healthy Volunteers: Archives of general psychiatry 63:731(2006)
12)Stephane LE Hellard et al: Genetic architecture of cognitive traits: Scandinavian Journal of Psychology 55:255(2014)
前回の続きです。
この論文[1]では、言語の発祥を従来推定されていたより10倍程度古い、100万年前ころとし、エレクトスがハイデルベルゲンシスになる過程で起きたものと推定しています。その後はサピエンス、ネアンデルタール、デニソワにおいて生物学的および文化的な差が生まれましたが、それは言語能力に関して決定的な差ではないと主張しています。
彼らは結論(consequence)で、根拠を5項目にまとめて示しています。
1)発声と言語の共進化
単一の遺伝子変化による飛躍的な言語の進化は、今日ではすでに受け入れられません。言語に関わる遺伝子は多数あり、細かい変化の積み重ねによって漸進的に進化してきたことは明らかです。このような変化は現在も続いています。
PinkerとBloomは言語を自然選択によっておこった遺伝子的な適応的進化であるとしましたが、これだけで最近50000年におきた急激な言語の変化を説明することは困難です。
言語は文化的に進化し、進化した言語により、それにふさわしい有利な遺伝子が選択されます。このように言語と発声や聴覚の遺伝子は共進化する関係にあります。エレクトスからハイデルベルゲンシスの間においては発声と聴覚において明らかに速い進化が見られ、言語との共進化があったことが推測されます。
一方旧人のDNAの解析からは、ここ数十万年は劇的な変化は起こっていないと考えられます。サピエンスと既知の2つの姉妹種は言語に関わるDNAにおいて、差がある部分もアリルの一部は共有しており、差が固定(fix)しないほどの軽微な差がほとんどです。
他者の動きを自動的に理解するミラーニューロンの発見により、ヒトの言語が手話やジェスチャーから進化したという説が一般的になりました。加えて、CallとTomaselloはサルのジェスチャーは意図的なコミュニケーションにみられ、発声はより反射的なものであると指摘しています。しかしながら、純粋なジェスチャーのコミュニケーションは少なくとも100万年前の初期のエレクトスのころまでさかのぼるべきです。手をコミュニケーションの道具として適応が進んだ証拠は何もありませんが、声を発語に変えた適応はエレクトス以後に多数みられるからです。現代のヒトのコミュニーションはジェスチャーと発声のミックスであり、これは単一のシステムです。手話が自然発生するのは、手と口が統合したシステムであることの証拠です。
2)前適応
言語の前提となった適応を明らかにする試みはこれまで盛んに行われてきました。協力本能はそのひとつであり、共同行為により道具制作文化の伝承が行われたことは遺跡からも確認できます。共同行為を基盤とした言語的慣習は、言語の構造よりも根本的なものと思われ、言語の初期段階からあったものと推測されます。
言語に関する認知機能は神経認知学によって細分化され、それは前適応の多くを明らかにしました。発声が複雑化したのはより後期のことであり、音韻・文法・語彙などもっとも複雑な部分は最後に進化したと考えられます。
既存の言語から文化的な共通祖先をもたないものを比較検討することにより、言語構造よりさらに深いレベルにある共通の遺伝的基盤についての研究が行われています。このような研究からは、従来よく言われたような遺伝子的に規定された普遍文法ではなく、遺伝子的な影響を受けた動機や状況が蓄積することで共通の文化的基盤が生まれ、それが言語にも転用される、というかたちが見えてきます。
この論文では言語の起源を従来の10倍程度古いとしましたが、それでもなお50万年という時間は進化のタイムスケールとしてはほんの一瞬にすぎません。コウモリや鳥の鳴き声の進化には5000万年以上の時間がかかっています。きわめて急速に進化したヒトの言語は、認知や神経構造における前適応が、やや拙速に統合したものだというべきでしょう。
3)集団遺伝学と言語分布
集団の遺伝解析と言語の分布には広く認められる関係があると考えられます。脳の成長と発達に関わるASPMとMicrocephalinは声調言語(tone language)と関連があることが示されており、集団の遺伝的傾向が文化を誘導し、それによって言語の形式が作られる一つの事例であろうと思われます。非声調言語(non-tonal language)と関連するバリアント(遺伝子のバリエーション)はネアンデルタールには見られず、このことからネアンデルタールは声調言語を話していたと推測されます。
集団の遺伝的傾向が文化を誘導したという事例は、言語の進化において多数見つかると思われます。このような遺伝子は発語に関わるものから見つかることが期待されますが、研究はまだほとんどありません。しかしながら、古DNA解析を含めて発声と言語の遺伝子的な関連を調べることは、古代に実際に話されていた言語を推測するのに有力な手段だと思われます。
4)新しい手法による言語歴史学
言語の歴史をさかのぼるには、言語の歴史をこれまで以上に深く追究できる新しい手法が必要になると思われます。これまで行われていた、語彙を比較して変遷をたどる方法では、10000年前までがさかのぼれる限界だとされます。言語の構造的な特徴は語彙よりも変化しにくく、そのためそれ以上にさかのぼれる可能性があります。構造的な特徴は語族全体を包括的に解析して得られるもので、ひとつの特徴が変化するのに数千年はかかり、いくつかの特徴を比較することでより深い言語の関連を明らかにすることができます。このような解析的な技法で、10000年以上さかのぼり、ベーリング海峡を越えて北東ユーラシアとアメリカの言語の関連が明らかにされています。また同様の方法で更新世までさかのぼり、メラネシアとサフル大陸の言語の関連が明らかになっています。
5)現在の言語の多様性
世界の言語の多様性が高いのは、言語の起源が古いためであると、この論文では考えています。言語の多様性に対し、伝統的に普遍文法や言語の本質的な制約を求める試みが行われてきました。最近の言語構造解析からは、構造的な特徴が変化するのに一万年単位の長い時間がかかることが示されています。標準的には、出アフリカは5~70000年前のことで非常に少ない人数で行われたとされており、そうであれば文化的なボトルネックがありごく一握りの言語が伝えられたに過ぎないと思われます。現在の言語がすべてこの一握りの言語から生まれたとすれば、現在の多様な言語をすべて入れるほどの設計空間はできません。インド-ヨーロピアン語族などは9000年前までさかのぼることが可能です。しかし、このような解析が6、7回行われれば大拡散の時代にたどりつき、すべての言語の歴史的関連が明らかになり、普遍言語が定まる、という考えは、言語の広がりに対して無関心にすぎると思われます。
いくつかの語族はかなり変化しづらく、現在の言語の広がりをすべて説明するのは困難なように思われます。しかし、もしアフリカを出たサピエンスが各地でネアンデルタールやデニソワと交流していたのなら、言語の多様性を説明できるかもしれません。この考えでは、現在の言語の起源は50万年前ほどに設定されることになり、アフリカにおいても50万年かけて言語が進化してきたことになります。
ネアンデルタールとデニソワはサピエンスと交流し、文化的な影響を受けたと考えられます。10万年前のレバント、その後のユーラシアなど、各地で接触はあり、物質的に見れば多くはサピエンスから彼らへの文化的流入でした。しかし、彼らも北方で暮らすためのあらゆるノウハウや文化があったはずです。この見地から、言語について4つのシナリオが考えられます。
1)言語の交替~サピエンスは自分たちの言語ではなくネアンデルタールの言語を話すようになった。
これは、サピエンスの文化の方が優れていたことを考えるとありそうもない仮定です。アフリカとその他地域に明らかな言語的な断絶は見られないため、可能性はまず考えられません。
2)言語の絶滅~ネアンデルタールの言語は絶滅し彼らもサピエンスの言語を話すようになった。
この場合、アフリカとその他地域で言語の断絶がまったく見られないことになります。また、この説をとれば、現在の言語の多様性は説明できないことになると思われます。
3)ピジン化~ネアンデルタールとサピエンスの言語が混ざり急激な単純化ののちに新規の言語が誕生した。
ピジン化は植民地と急速に進んだ交易において認められます。2つの対等なグループが急激に混合した場合、2つの言語は分解され新規の言語ができます。しかしピジン化は狩猟採集民族の疎な関係では認められず、考古学的に急速な混合があったとは思われないネアンデルタールにもなかった可能性が高いと考えられます。
4)弱い関係の持続~語彙や言語構造のゆるやかな変化が起きた。
この論文ではこのシナリオがもっともありえると考えます。ネアンデルタールとサピエンスは長期にわたって接触がありました。技術や道具の多くはサピエンスからネアンデルタールに伝えられ、おそらく言語の伝達も同様の傾向があったと思われます。しかしメラシネアの例などで考えると、文化と言語が別々の方向で伝達されることも時折見られることです。ネアンデルタールはアフリカの外に適応するため、物質的、非物質的両面において相当数の文化を作り出したはずで、言語構造などを含め言語においてサピエンスに伝えられるものをそれなりに持っていたと思われます。
これらのシナリオに関わる考古学的な証拠はすでにいくつかあります。しかし、もっと直接的に検証するなら、アフリカとそれ以外の地域の言語構造の小さな違いを調べることになり、このような違いはネアンデルタールの言語の残滓であると考えられます。すでにこのような比較はサポートベクターマシンで行うことができ、また地域による言語構造の違いを見つけだすこともできます。パプアとオーストラリアの言語の違いはサピエンスとデニソワの接触の結果である可能性があり、現在のメコン-マンベラモ言語地域(東南アジア~西ニューギニア)の文法に複雑性が少ないのは、デニソワの言語と接触した名残だとする意見があります。フローレス島におけるオーストロネシア言語の単純化はフローレシエンシスとの接触の結果かもしれません。このような接触についてのコンピューターモデルを作り、現在の言語多様性を説明することができれば、仮説を検証できると思われます。言語構造のゆるやかな変化を想定し、前向きに言語の変化を検証し、出アフリカからの約60000年間に現在の言語多様性に到達するかどうか、ネアンデルタールやデニソワとの言語接触を仮定する必要があるかどうか、検証する必要があります。
結論(Conclusions)
この論文では、ネアンデルタールとデニソワ、現生人類がほぼ同等の言語能力を持つという証拠をいくつか提示しました。これらの種は別の種とみなすのは適当ではなく、混交によって現在の遺伝子的、言語的な多様性が生まれたと考えられます。さらに、アフリカとアフリカ外、またはパプアとそれ以外・オーストラリアとそれ以外の言語構造を比較することで、言語の関連をきわめて古くまで追究できる可能性を示しました。人類の進化は非常に広範な要素が網羅的につながって進んでいると理解すべきであり、言語は、伝承あるいは伝播をもとにする非常に古い文化的進化の過程から作られたというべきだと思われます。この過程は現生人類・ネアンデルタール・デニソワで共有され、彼らの間における差はわずかであり、この見地は発声と言語の進化について新たな知見をもたらすものと思われます。
現代的な言語と発声能力はネアンデルタール・デニソワとサピエンスの分岐以前にさかのぼり、50万年以上前のことになると思われます。このことから言語の多様性、生物学的な進化と文化的な進化の関係、現生人類の特徴、特に言語における進化の時間軸、ということについて、新たな課題が生まれています。
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まとめます。
彼らが、言語の起源を50万年以上前とする積極的な証拠は、
・その時期に外耳~中耳の形態が会話に適した2~4kHzの音を聞き取りやすいように変化し、
・気嚢が消失し、発声のバリエーションが増え、
・胸部脊柱管が太くなり、発声に大切な細かい呼吸のコントロールができるようになった、
という、会話に適した進化が急速に進んでおり、会話の文化的な進化に対して共進化を起こしたと考えられること。
もうひとつは、
・語族を包括的にコンピューターで解析することで言語の基本構造を明らかにすることができ、それが非常に変化しづらいことを示し、
・それによると、現代の言語が、出アフリカ後の変遷だけでは説明できないほど多様性が高い可能性があること。
・また、パプアとオーストラリアの言語比較などにより、デニソワとの言語接触があったことを示せる可能性があること。
であろうと思います。
その他、遺伝子学的、発達学的、文化的な部分でこれまでの説の検討を行っていますが、「ネアンデルタールとサピエンスの遺伝子的な差は小さい」「ネアンデルタールとサピエンスで脳の発達過程に大きな差はない」「ネアンデルタールの文化は高度であり言語なしで達成できたとは思えない」というのは彼らの見解であって、解釈に幅のある部分です。当ブログの記事でも、・ネアンデルタールとサピエンスの間で差がある自閉症関連遺伝子について、・サピエンスの乳児期に特異的に見られる脳の発達と言語との関連について、・ネアンデルタールの文化はサピエンスと本質的に変わらないが少し遅れることについて、とりあげてきました。
当ブログとしては、ネアンデルタール/デニソワと現生人類はコミュニケーションに差を生むほどの遺伝子的な違いがある、現生人類は言語発達のために特異的に脳の可塑性を発達させている、と考えています。しかし、その差はこの論文のいうとおり、量的な問題に過ぎず、言語があったかなかったかに関わるほどの大きな差ではないだろうと思います。
言語の起源を考えるなら、いわゆる言語以前のコミュニケーションから言語がどのように成立したか考えなければなりません。文法や語彙をいくら追究しても、それだけでは文法以前、語彙以前の世界を描くことは不可能です。いっぽう、言語を越えたコミュニケーションについては、子供の発達の研究や霊長類の観察などから見地が大いに広がっています。遺伝子的にはFOXP2だけが異常に注目された時期もありましたが、知見が蓄積された現在は、言語に関わる遺伝子はそれこそ無数にあって、その微妙な差異の蓄積が漸進的な進化につながる、という理解になっています。
シンボル化、再帰性、などのアイデアは言語学者から提示され、かなりの影響力を持っていましたが、その価値について実証的に検討されたとはいえません。文法や語彙の追究だけでは言語の起源には迫れないのですから、言語起源論に対するこれらの影響力は限定的なものととらえ、ネアンデルタールにはシンボル化がなかったから言葉はなかった、などという議論はいったんリセットして再検討すべきでしょう。
発声・発語、聴覚、は語彙や文法よりも古いものです。ここに立ち返って検討すると、エレクトスからハイデルベルゲンシスにかけての時期に、発声のコントロールが精細になり、聴覚が会話にふさわしいものになった、ということが化石から見えてきます。なぜ、と考えると、会話のため、とするのが最も自然です。会話力のある個体が適応的に有利であり、そのため会話に適した発声と聴覚が選択されます。会話そのものは文化的に急速に進化し、発声と聴覚の遺伝子的な進化も会話の進化に引きずられて急速なものとなります。これが会話と発声・聴覚の共進化です。エレクトスの発声・聴覚の進化が急速であったから、そこに会話との共進化があったことが予測されるのです。
ハイデルベルゲンシスの頃には発声と聴覚は完成しており、すでにこの時期に会話の基盤は完成していたのでしょう。そのころの言語がどのようなものであったか、推測はまだ困難です。ただ、おそらく部族ごとの交流は薄く、それぞれの部族はかなり違った言葉を話していたのではないでしょうか。音素も多く、文法は例外が多く、難解で複雑な言語であったと思います。この論文ではジェスチャーをあまり重視していませんが、特に視覚優位とされるネアンデルタールなどはジェスチャーに大きく偏った言語を持っていた可能性もあると思います。部族が小さいので部族内での共通の文化基盤は強固であり、いわずともわかる、以心伝心の部分も決して小さくなかったでしょう。
ただ、サピエンスは、人口の増加とともに他部族との交流を避けられなくなってきます。そこでは違う言語の接触があり、文法などの単純化がおき、共通の文化基盤も脆弱になり、言語はおそらく曖昧さをはらむようになってきます。この変化は「表現力」という新しい需要を生み、そこに芸術の萌芽が出てきた可能性も考えられます。サピエンスはこうしてネアンデルタールやデニソワとは違い、よりコミュニケーションに強い遺伝子が選択され、社会脳を育てるために発達過程にも変化が置き、乳児期に大きく脳の形状を変化させるようになったと考えます。
語彙の比較による比較言語学は10000年前までしか解析することができず、さらに年代をさかのぼるための新しい手法が求められています。この論文では、言語構造をデータとする、多数の言語のコンピューター的な比較解析に言及していますが、これは実に科学者的な手法です。
言語学者である松本克己先生は、言語の最も基本的な性格を形作っているある種の構造的特質や文法的カテゴリーは、時代と環境の変化に逆らって、根強く存続し、このような特質を共有する言語は、かりに比較言語学的な観点からはその同系性を確認できなくても、もっと奥行きの深いところで何らかのつながりを持っている可能性がある、と述べています。そして日本語にもみられるいくつかの類型的特徴を挙げ、環太平洋言語圏という可能性を示しています[2]。
これは言語学者による精緻な研究であり、大規模なデータ解析から得られるものとは別の視座から出てくるものです。松本先生は2007年の著書において、当時得られていた人類大拡散の科学的成果にもとづく考察も行っていますが、言語の起源については50000~60000年前の飛躍的な進化を想定しているようです。その後も先生は科学的知見をキャッチアップされていると思われますが、この論文のように、言語の起源を50万年前からの漸進的変化とし、ネアンデルタールやデニソワとの言語的な交流もあった、という説はどのように考えるでしょうか。
現代の言語にネアンデルタールやデニソワからの言語的な残滓を見つける、という仕事が、言語学の方から出てくるか、注目されると思います。
参考文献
1)Dan Dediu, Stephen C. Levinson: On the antiquity of language: the reinterpretation of Neanderthal linguistic capacities and its consequences.: frontiers in PSYCHOLOGY 4:article397(2013)
2)松本克己:世界言語のなかの日本語 日本語系統論の新たな地平:三省堂(2007) このサイトにまとめがあります。
On the antiquity of language: the reinterpretation of Neanderthal linguistic capacities and its consequences.
Dan Dediu, Stephen C. Levinson:frontiers in PSYCHOLOGY 4:article397(2013)
ヒトの言語の起源にまだ定説はありません。少し前まで一般的に知られていた仮説は、現代人に匹敵する言語をもっていたのはわれわれホモ・サピエンスだけで、現代的言語が誕生したのも5~10万年前くらい前のことであり、ネアンデルタールはわれわれが使っているような言語を持っていなかった、というものでした。
Max Planck研究所は学際的な人類学研究を行っている代表的な研究所ですが、そこから2013年にネアンデルタールの言語についての仮説が呈示されました[1]。最新の知見をふまえた上で、言語の起源は従来より10倍は古く50万年前に設定すべきで、サピエンスとネアンデルタールの共通祖先はすでに言語を持っており、当然ネアンデルタールも現代的な言葉をしゃべっていたはずだ、と主張しています。
彼らはこれはまだ非常に議論の多いところで、解釈が対立する部分もある、としています。それでも彼らはかなりの確信をもって仮説を呈示しているように思われ、自説を検証する方法についてまで言及しています。
基本的には論文に沿って、まとめます。原論文にある参考文献については省略します。
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これまでネアンデルタールが言語を持っていないと思われていた理由を論文ではいくつかあげています。
・ネアンデルタールはサピエンスとは体格が大きく違い、頑強であったためにあまり知的だとは思われなかった。
・初期のmtDNA解析でネアンデルタールがサピエンスとは別種として良いほどの差があることが示唆された。
・化石から復元された声道と聴覚の構造がネアンデルタールとサピエンスで大きく違っているとされた。
・ネアンデルタールの文化に比べ、サピエンスの残した文化がはるかに優れていると考えられた。
しかし、これらの主張はすでに古くなった仮説をよりどころにしているものもあります。例えば、アフリカで現代的行動が20~30万年前から少しずつ出現してきたことが示されたため、ヒトが5万年前に文化的進化の大爆発を起こした、という従来の説は否定的となっています。
DNA全体の解析からは、サピエンスがネアンデルタールと混血していたことが明らかになっています。現代人にみられるネアンデルタール由来の遺伝子に多様性があることから、混血は数十人という小規模ではなく、数百や一~二千はあったと考えられており、この論文ではサピエンスとネアンデルタール、デニソワは別の種と考えるべきではない、と主張しています。
文化については、ネアンデルタールの文化は本質的にはサピエンスに劣るものではない、とも考えられます(前々回の記事参照)。
この論文では、遺伝子的にもネアンデルタールとサピエンスに大きな違いはない、としています。ヒトがチンパンジーと分かれてから大きく変異した配列は、ヒトをヒトたらしめている重要な配列と考えられ、HARs(Human Accelerated regions)と呼ばれますが、ネアンデルタールとサピエンスはHARsの91%を共有します。言語に深く関わるとされたFOXP2遺伝子の2つのアミノ酸変異は、ネアンデルタールにもあります。
ただ、FOXP2の第8イントロンにある、発現制御に関わるPOU3F2と結合する部位はネアンデルタールとサピエンスで差があります。しかしこの変異は現代アフリカ人の10%にも見られるらしく、現代人のひとつのバリエーションとも考えられます。このような現代人のバリエーションとも捉えうる遺伝子の差は、他にもCNTNAP2(発声と言語に関わる)、MCPH1,ASPM(脳発達に関わる)、DRD5,MEF2A(脳発達における可塑性に関わる)、などいくつかあります。このようなものは、淘汰されて消滅しないくらいの軽微な差にすぎません。
遺伝子的にはネアンデルタール・デニソワ・サピエンスはたいへん似ており、質的な差ではなく量的な差があるだけだと考えられます。ネアンデルタールもデニソワも現代人に匹敵するほどの言語能力があり、差があるとしても、音素の幅やしゃべる速さ、文法の複雑性、語彙の数などの量的なものにすぎなかったであろう、と彼らは考えています。
サピエンスの子供は小さく生まれ、ゆっくりと発達する間に言葉を覚えていきます。ネアンデルタールの産道もサピエンスと同じくらいの大きさであり、おなじように新生児は未熟な状態です。
ネアンデルタールの子供の発達は早く、言葉を獲得する時間が十分なかったのではないかとする意見があります。しかし、この論文ではネアンデルタールの出産間隔がサピエンスの狩猟採集民族と同様に3年おきであるということを根拠に、ネアンデルタールの子供の発達もサピエンスと同等かやや遅い程度であるとしています。80~96万年前のホモ・アンテセッサーにも同じような遅い発達が認められることから、これはホモ属に比較的はやく現れた特徴と考えられます。
ネアンデルタールの頭骨を調べると最初の1年でサピエンスと発達が違うことが指摘されます(記事参照)。また、MEF2Aなど、脳発達における可塑性に関わる遺伝子で比較的近年に変異したと思われるものがあります。このことから、ネアンデルタールが言語を獲得できる期間がやや短かった可能性があることを彼らも認めています。しかし、全体としてみると発達の様子は相似しており、ネアンデルタールにも複雑な文化とコミュニケーションを継承するだけの時間は十分あっただろうと彼らは考えています。
サピエンスの耳は他の霊長類と違って、特に周波数2~4kHzの音を聞き取りやすくなっており、これは会話に最適化されたものと思われます[2]。Sima de los Huesos(スペイン)の50万年前と思われる5体のホモ・ハイデルベルゲンシスの化石から、3D-CTによって外耳および中耳を復元した研究がありますが、彼らも同様に2~4kHzが聞き取りやすくなっており、この特徴はサピエンスとネアンデルタールが分かれる前からあったことが示唆されます。
カフゼーとアムッドにおいてサピエンス化石とネアンデルタール化石を比較した研究においては、ネアンデルタールの耳小骨はサピエンスの多様性の範囲にあることが示されています。
LiebermanとCrelinは1971年に頭蓋底の位置関係から舌骨の位置を推定し、ネアンデルタールは舌骨の位置が高く、現代人と同様の発音能力がなかったことを示しました。しかし、その後の研究では、骨格から舌骨の位置を同定することは難しく、舌骨の位置は低いとするほうが適当である、という反論が出されています。哺乳類の多くが、発声時には舌骨の位置を下げるため、平常時の舌骨の位置で発音能力の推定はできないという意見、また、ネアンデルタールの舌骨が高いと想定した発声モデルにおいても発音能力は現代人に匹敵する、という意見も見られます。
この論文では「舌骨の位置が低いことの意味はこれまで過大評価されてきた」というFitchの見解を採用しています。[3]
霊長類の多くは気嚢という気道に接続する空気の袋を持ちますが、これは出せる声の範囲を狭めるというデメリットがあるとされます。これはエレクトスとハイデルベルゲンシスの間に消滅したと考えられています。
他に化石からは舌の運動をコントロールする神経が通る舌下神経管と、呼吸筋のコントロールを行う神経が通る胸部脊柱管の大きさがわかります。舌下神経管についてはチンパンジーもヒトと大差なく、あまり情報はありません(論文では触れていませんが、ホモ・ハイデルベルゲンシス以降は舌下神経管が大きくなっている、とする報告もあります[4])、胸部脊柱管はホモ・エレクトスである"ナリオコトメ・ボーイ"に比べ、ネアンデルタールとサピエンスでは明らかに大きくなっています。
これらの聴力特性の変化および発声構造の変化は、すべてエレクトスからハイデルベルゲンシスの間に起こっています。
言語の原型は歌であり、性選択によって進化した、という仮説があります。この論文では、言語の原型と仮定されるような歌を持つ動物モデルは社会的動物のなかに見られず、社会的動物は社会的コミュニケーションにより発声を学習していることを指摘しています。また認知学的には言語と音楽は区別されるもので、共通点であるピッチやリズムについては本質的なものではないとしています。ハイデルベルゲンシスの頃には会話に適した聴覚を身につけていたはずであり、言語の原型としての歌がもしあったとしても、100万年以上昔にさかのぼるはずだ、とこの論文では主張しています。
ネアンデルタールの文化の評価については、「新人の革命(modern human revolution」という神話に陥らないようにしないとならない、とこの論文では警告しています。ヨーロッパにおいてはネアンデルタールからサピエンスに移行した時期に文化の大発展があったように見え、ヨーロッパで始まった人類学的な研究は、この時期に飛躍的な文化の大革新があったとする説が長年支配的でした。最近の研究はこのような考えを大きく修正しましたが、「新人の革命」説の影響は根強く、ネアンデルタールの文化は過小評価される危険が大きいとこの論文では指摘しています。
ネアンデルタールのムステリアン文化における複雑な石器制作は、階層的で再帰的な計画が必要で、言語を操るのに十分な能力を示唆するという意見があります。ネアンデルタールは寒冷の地で火を活用し、衣服を作り、大型動物を計画的に狩猟し、埋葬やボディペインティングや薬草の利用までしていました。
考古学的な証拠から言語能力を推定することは多数行われてきましたが、ネアンデルタールに絵画や交易や飛び道具、漁労がなかったからといって、それを言語の不在に結びつけることは正当ではないと思われます。近代の狩猟採集民族も、近代的文化と接触するまではこのようなものはほとんど持っていなかったからです。シンボル化の証拠は、実際には化石にはほとんど残りません。12000年前にアメリカに移住したサピエンスも、ヨーロッパの上部旧石器文化にあったようなシンボルの遺跡を残していません。このことから、シンボル化は言語においては、さほど重要なものといえないのではないかと思われます。
また、20万年前に誕生したとされるサピエンスが、ヨーロッパに進出する5万年前までなぜ豊かな物質文化を作り得なかったのか、ということも問われるべきであろうと思われます。10万年前ころのレバントにおいては、ネアンデルタールもサピエンスもほぼ同等の文化を持っていました。ひとつの答えは、サピエンスもネアンデルタールも潜在的には高い文化的能力を持っており、サピエンスが出アフリカをしたときの人口増加によって、はじめて躍進が引き起こされたとするものです。
ネアンデルタールとサピエンスは脳のサイズがほとんど同じです。ネアンデルタールは後頭葉が大きく視覚野が発達していたと考えられ、認知がやや視覚に依存していた可能性は考えられます。Dunbarは新皮質のサイズが社会的能力と比例すると考えましたが、そこから導き出されるネアンデルタールの群の個体数は、視覚野と身体の大きさでマイナス修正したとしても115人であり、近代の狩猟採集民族の144人に比肩します。
ネアンデルタールはヨーロッパにおいてサピエンスと接触したとき、文化の一部を取り入れたと考えられ、フランスの移行期文化であるシャテルペロニアンは、ネアンデルタールのムステリアンおよびサピエンスのオーリナシアンの混合になっています。認知能力は発明の能力よりも、文化を模倣し受容する能力で測る方が適しているとされ、ネアンデルタールの認知能力がサピエンスの文化を受容できるほど十分高かったことがうかがわれます。
近代の狩猟採集民族も、ネアンデルタールと同等か、あるいはそれより単純な物資しか持っておらず、タスマニアやティエラ・デル・フエゴなど辺境の地でその顕著な例が見られます。このような状況は人口の多寡によって説明できるものです。ネアンデルタールは一説には進入してきたサピエンスの10分の1しか人口がなく、ネアンデルタールは常に人口密度が非常に低く、局地的な絶滅と再集合を繰り返していたと考えられています。少ない人口では伝えられる文化の複雑さも限られており、文化や技術の発展が阻害されていたと思われます。
一般に、多数の人が話す言語は、集団間でコミュニケーションを取る必要から単純化する傾向にあります。逆に小さいグループ内での言語は特殊な音素や不規則性の高い文法など複雑さが残存しています。この論文では、ネアンデルタールの言語は現代の小規模な伝統民族の言語のように、音素は非常に多く、語形と文法は複雑で、不規則性が高く、単語数は10000程度であっただろうと予測しています。また、脳の発達に関わる遺伝子であるASPMとMicrocephalinにおいて、現代の声調言語(tonal language)と非声調言語(non-tonal language)の話者集団でバリエーションに違いが見られるという研究があり、このことからネアンデルタールの言語は声調言語であったかもしれない、と推測しています。
人類の進化を概観すると、そこには高い知性や生物学的な特性があったかのように錯覚しがちです。しかし、人類の文化は条件が整っていたときに限り一歩一歩進んできた、その積み重ねにすぎません。時間的な余裕、親からの教育、健康、適切な競争など、条件が揃っていたところでだけ文化は進みました。ヨーロッパに進出したサピエンスがネアンデルタールより優れた文化を持っていたのは、18世紀にオーストラリアに上陸した西欧人のように、ただそれまでの条件に恵まれていただけにすぎません。
以上の考察をふまえ、ネアンデルタールの持っていた高度な文化を考えれば、ネアンデルタールが言語を持っていなかったということは考えられない、とこの論文では主張しています。
このあと、かなり長い「結論」があるので、そちらの方は次回にします。すみません。
参考文献
1)Dan Dediu, Stephen C. Levinson: On the antiquity of language: the reinterpretation of Neanderthal linguistic capacities and its consequences.: frontiers in PSYCHOLOGY 4:article397(2013)
2)Jeff Rodman: 会話音声の明瞭度における帯域の影響: http://www.polycom.co.jp/content/dam/polycom/common/documents/whitepapers/intelligibility-of-conversational-speech-wp-ja.pdf
3)スティーヴン・ミズン: 歌うネアンデルタール 音楽と言語から見るヒトの進化: pp322: 早川書房(2006) に聴覚器の発達についてまとめられています
4)Kay RF et al.: The hypoglossal canal and the origin of human vocal behavior.:PNAS 95: 5417(1998)
前回の記事に対するコメントで、石刃とmodeについてご教示いただきましたので、少し調べてみました。
英語版Wikipediaの"Stone tool"(2014/10/2時点)の項目を見ると、Grahame Clarkが1969年発行のWorld Prehistory 第2版の中で、石器の進歩においてMode1から5という5段階の石器技術を想定した、としています。
この原典の表[1]では、
このようになっています。
Mode4は"punch-struck blades with steep retouch"なので、「間接打撃によって作成された鋭い石刃」となるかと思われます。
ただ、World Prehistoryの他の箇所にはもっと詳細なMode4の説明があります[2]。
石刃を取る技術自体はかなり古くにさかのぼり、レバントとキレナイカではMode3にあたるルヴァロア技法よりも古い層で見つかるそうです。しかし、石刃がMode3に変わって技術の主体になるのはもっと後のことであり、それは文化全体が進歩して石刃技術が進歩するまでは、石刃の有用性がさほど高いものではなかったからだと思われます。
石刃は、さまざまな石器を調製するための原材として適しており、そのためMode4になって石刃は石器技術の中心となったのだそうです。
Mode4は石刃から二次加工されたナイフ型石器、尖頭器、彫器など、多数の道具による文化であり、このような多彩な道具を用途によって使い分けていたところに特徴がある、としています。
つまり、原典におけるMode4は、石刃を取る技術そのものではなく、石刃から二次加工してさまざまな道具を作り用途によって使い分ける石器技法全体を示していると思われます。
一方、「石刃(blade)」の定義を見てみると、「長くて、幅が狭くて、エッジが鋭く、薄い、剥片」[3]などと、厳密なものではなさそうです。最もシンプルには、長さが幅の2倍以上、とされます。ただ、このような剥片はチョッピングツールやハンドアックスを作るときにも偶然できてしまうものです[4]。
考古学で言う創造性は遺跡から見つかるモノの一式をまとめていい、たまたま新しい形式のものが1つだけ入っていたとしても、偶然産み出された可能性も高く、ほとんど無視されます[5]。なので、石刃技法とする場合は、石刃が連続的・計画的に作られているかどうかが問題になります。
たとえば50万年以上前の南アフリカに石刃技法があったとする論文[6]でも、著者らは、これらの石刃が、"systematically manufactured from highly-prepared cores"「周到に準備された石核から、計画的に生産された」ものであることを示した、と述べています。
しかしこれは、Grahame ClarkがMode3とする"flake tools from prepared cores"と同等のものと思われます。
単に石刃技法(blade technology)、とする場合はそれはMode3に相当し、石刃からの二次加工を含めた技術全体を指す場合、それはMode4に当たると思われます。ただ、「石刃技法」という言葉がMode4に当たる技術全体を指す場合もあるようで、「石刃」あるいは「石刃技法」と書かれていた場合、それがMode3かMode4かということは、全体の文脈から判断しないとならないことがあるようです。
特に日本では、4万年前以降のMode4にあたる石刃が著明で、それ以前の中期旧石器時代に関しては存在自体にまだ議論のある状況です。なので日本について書かれたもので「石刃技法」とあれば、それは原則としてMode4にあたるものです。しかし、海外について書かれた「石刃」あるいは「石刃技法」はMode3を念頭として書かれていることもありえます。
正直なところ、自分は相当この部分で混乱しておりました。なので整理してまとめてみました。
1) Grahame Clark:WORLD PREHISTORY A NEW OUTLINE 2nd Edition: pp31: Cambridge University Press(1969)
2) Grahame Clark:WORLD PREHISTORY A NEW OUTLINE 2nd Edition: pp48: Cambridge University Press(1969)
3) The Adventures of ARCHAEOLOGY WORDSMITH: http://www.archaeologywordsmith.com/index.php
4) Sally McBreaty, Alison S.Brooks: The revolution that wasn't: a new interpretation of the origin of modern human behavior: Journal of Human Evolution 39:453:pp495:(2000)
5) 西秋良宏 他:ネアンデルタール人を語る-考古学と脳科学の対話: 考古資料に基づく旧人・新人の学習行動の実証的研究 1 「交替劇」A01班2010年度研究報告:1:pp33(2010)
6) Jayne Wilkins, Michael Chazan: Blade production ~500 thousand years ago at Kathu Pan 1, South Africa: support for a multiple origins hypothesis for early Middle Pleistocene blade technologies: Journal of Archaeological Science 39:1883(2012)