分子時計によるヒトとチンパンジーの分岐年代については前記事参照してください。1995年に宝来先生により求められた分岐年代は487±23万年前であり、これは分子時計としてはかなり正確なものと思われますが、分子時計に絶対年代を与えるためのラマピテクスの化石年代に幅(1300～1600万年前)があるため、ヒトとチンパンジーの分岐年代にも460～620万年前、くらいの幅を持たせる必要があるだろう、という内容です。
　まずアウストラロピテクスの出現した年代は440万年前と推測されるため、アウストラロピテクスはヒトの直系祖先としても矛盾はないと思われます。ただ、アルディピテクス・ラミダスなど、同時期に別種とされる猿人も発見されているため、アウストラロピテクスがほんとに直系の祖先かどうかは簡単にはわかりません。
　では、アウストラロピテクスより古いとされている初期猿人はどのようなものでしょうか。
　だいたい、ヒトの進化七〇〇万年史　河合信和　ちくま新書879(2010)に従いますが、
　現状では、
・サヘラントロプス・チャデンシス(700万年前)
・オロリン・ツゲネンシス(600万年前)
・アルディピテクス・カダッパ(520万年前)
・アルディピテクス・ラミダス(440万年前)
　がいるようです。彼らがヒトの祖先と考えられているのは、顔面の特徴に原始的でない部分があったり、二足歩行をしていた可能性が高いからということのようです。
　森で樹上生活をしていた類人猿が、二足歩行を発達させて地上に降り、やがてヒトに進化した、というのがだいたいの流れなのですが、実際は二足歩行の発達も樹上から地上への移行も短期間に達成されたわけでなく、
彼らは移行期の種であり、樹上生活をしながら、地上にも降りて二足歩行をしていた、ぐらいであったかと思われます。
　ヒトの進化七〇〇万年史においては、これでヒトの祖先は500万年前より遡った。これは分子時計が間違いであり、分子時計の年代を見直す必要があるだろう、という記述でしたが、この部分はそこまで簡単な問題ではなさそうです。

　サヘラントロプスの年代は同じ地層の同位体解析により700万年前と測定されており、ここにあまり疑問はないようです。
　オロリンは地層のK-Ar法で年代推定され、600万年前です。
　アルディピテクス・カダッパは2グループあり、520万年前ころのグループと、554～577万年前のグループに分かれるようです。
　アルディピテクス・ラミダスは火山灰地層の放射線測定にて440万年前とされています。しかし、390万年前、とそれより若い年代を主張する研究者もいるようです。
　この年代推定そのものは確立された年代測定法によっており、これらの種に関しては大きくズレることはなさそうです。

　ヒト－チンパンジーの分岐時期については、これらの共通祖先の化石が出ていない以上、分子時計的なアプローチによるしかありません。英語版wikipediaのThe Chimpanzee-human last common ancestorによると、現在よく用いられている年代は500万年前から700万年前の間である、とされています。
　ただ分子時計の値も推測により多少の差があり、例えば常染色体の一部を解読して比較する方法だと、染色体により推定値に400万年もの差がでるらしいです。これは、ヒトとチンパンジーが短期間にきっぱりと分かれたものでなく、お互いに交配しながらゆっくりと分かれた種であるからではないか、と考えられているようです。

　もし、ヒト－チンパンジーが500万年前で、サヘラントロプスが700万年前、としても、この2つに矛盾はありません。なぜなら、サヘラントロプスがヒト－チンパンジーが分かれた後のヒトの祖先、である証拠はどこにもないからです。
　両方の年代が正しければ、
1)サヘラントロプスはいち早く二足歩行を実現したが、絶滅してしまった種でヒトの直系祖先ではない。
2)サヘラントロプスはヒトとチンパンジーの共通祖先であるが、チンパンジーは再び樹上生活に戻り二足歩行を失った。
3)サヘラントロプスという種自体に二足歩行から樹上生活までの幅広い系統があり、お互いに交配が可能。ゆっくりと時間をかけて、樹上生活者はチンパンジーへ向かい、二足歩行者はヒトへと向かった。
　などくらいが可能性として思いつきます。

　700万年前くらいのアフリカの森では、樹上生活から二足歩行を得た種がサヘラントロプスやオロリンなど多数あり、ほとんどは絶滅した。しかし何番目かに二足歩行化した種が(それはアルディピテクスやアウストラロピテクスであったかもしれません)、たまたま生き残って、その子孫がヒトへとつながった。樹上生活を続けていた者の子孫からチンパンジーが誕生した。
　というシナリオがいちばん考えやすい気がしますが、証拠は特にありません。ただ、樹上生活種の化石は残りにくいとされるので、樹上生活種の化石がまったく失われているために、二足歩行種ばかり目立ち、各種の系統が見えづらくなっている可能性はあるかと思います。