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fairyism備忘録

現状のところ、人類史および日本への拡散について管理者が学習してゆくブログです。

Y染色体による東アジア植民の推定 1

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1. 無題

香川県ルーちゃん餃子のフジフーヅはバイトにパワハラで指切断の重傷を負わせた犯罪企業.中卒岸下守がやった.

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Y染色体による東アジア植民の推定 1

Infering human history in East Asia from Y chromosomes
Investigative Genetics 4:11(2013)

 東アジアにおける主要なY染色体ハプログループは、C D O Nの4つであり、これで全体の93%を占めます。ならば、この4つについて概観すれば東アジア植民のおおよそは推定できるはず。
 これは、こんな感じの、わかりやすいレビューでした。意訳、省略しつつ紹介します。

 Ychrによる解析はmtDNAによるものより、集団の動きをクリアにしやすいとされます。それは、ひとつはYchrの方が変異数が多いためハプログループの流れを追いやすい、いわば解像度が高いためです。また、東アジアでは一般的に嫁入り婚の形態が多く、女性は民族を越えて移動するためmtDNAは混合していくが、男性は民族にとどまるためにYchrは民族の中にとどまっていく、という理由もあります。
 Ychrは集団の流れを追うには適しているのですが、このレビューにおいては、Ychrの分岐年代については参考程度にすぎない、としています。Ychrの分岐年代決定はまだ異論が多く、変異しやすいSTR部位を用いた年代決定も、変異率にevolutionary rate、genealogical rateのいずれを使うかによって年代に3倍もの差が出てしまうからです。

・ハプログループ O
 ハプログループO-M175は東アジア最大のハプログループで、中国人の75%を占め、日本人では新石器時代以降の移住を反映して半数以上を占めます。
 O-M175の主要なサブグループに、O1a-M119 O2-M268 O3-M122があります。
 O1a-M119は中国の東南海岸に分布し、Daic語族および台湾先住民に多く見られます。
 O2-M268は漢族の5%に見られます。O2a1-M95はO2最大のサブグループでインドシナ半島に多く、南中国や東インドにも分布します。O2b-M176は韓国・日本に多く、またベトナムおよび漢族の一部を占めます。
 O3-M122は中国でもっとも多いハプログループで、東アジア・東南アジアにかけて分布し、漢族の50~60%を占めます。O3a1c-002611 O3a2c1-M134 O3a2c1a-M117が主要なサブグループで、それぞれ漢族の12~17%を占めます。O3a2c1a-M117はTibeto-Burman族に多数見られます。O3a2b-M7はHmong-MienおよびMon-Khmer語族に多数見られますが、漢族では5%未満です。
 中国におけるYchr-SNPsとSTRsの解析によれば、北部集団はひとつのクラスターを形成し、それは南部集団クラスターの一部となっていました。また、ハプロタイプの多様性は南部が北部よりも多いという結果でした。このことから北部集団は旧石器時代中に南部集団から移動してきたもの、と結論されました。2005年には東アジアの2000人以上におよぶ解析により、O3-M122は南方で多様性が高く、つまり南方起源であり、北への移住時期は25000~30000年ほど前であろうと推測されました。近年、東南アジアのMon-Khmer Hmong-Mien語族におけるO3a2b-M7 O3a2c1a-M117の解析により、LGM期である19000年前に、東南アジアから東アジアへの一方向的な拡散があった、とされました。また、O3a1c-002611の解析により、O3a1cは他のO3-M122系列に伴って北部へ移住したことが示されました。
 以上多数の報告により、ハプログループOは東アジアを南から北へ移住していったと考えられます。

・ハプログループ C
 ハプログループOが東アジアに到達した年代は30000年前より新しいと推測されるため、ハプログループCの方がより古く、おそらく最初に東アジアに到達した集団であったと考えられます。ハプログループC-M130は極東とオセアニアに多く、ヨーロッパとアメリカに少数見られます。しかしアフリカにはいません。
 C-M130は、C1-M8 C2-M38 C3-M217 C4-M347 C5-M356 C6-P55などのサブグループを持ちます。
 C3-M217は最大のサブグループで、モンゴルとシベリアがもっとも高い頻度を持っています。
 C1-M8は日本本土と琉球だけで見られるサブグループですが、集団での頻度は5%未満です。(アイヌには見られません)。
 C2-M38は東インドネシアからポリネシアまでの太平洋諸島に分布し、特にポリネシアに多いです。C2は創始者効果が顕著な例として知られています。
 C4-M347はオーストラリア先住民でもっとも多いハプログループで、オーストラリア以外では見ることができません。
 C5-M356はインド、パキスタン、ネパールで少数認めます。
 C6-P55はニューギニア高地人に認めます。
 C-M130の分布を見ると、Cは現世人類が東南アジアに到達する以前にアジアのどこかで誕生したと考えられます。
 140地域の465人のハプログループCを解析した報告において、C3は東南アジアでもっとも多様性が高く、また南から北、東から西につれて多様性が減少することが示されました。このことからC3は中国の東沿岸を一息に北上したと考えられ、その年代は32000~42000年前と推測されています。
 ハプログループCが東南アジアおよびオーストラリアに到達したのは60000年前とも推測されており、さらに東アジアに植民したのはハプログループOより10000年程度も古いと考えられています。

・ハプログループ D
 D-M174の足跡には謎が多いです。彼らはハプログループDE-M1(YAP+)としてアフリカを出て、背が低く肌の黒いアジア人と関連づけられます。ハプログループDとEは兄弟のハプログループであり、Eは背の高い黒人によりアフリカに運ばれ、Dは背の低い黒人によりアジアに運ばれたと考えられています。
 D-M174はアンダマン諸島、北のTibeto-Burman語族、アイヌに多く見られ、他のアジア地域ではほとんど見られません。北のTibeto-Burman語族であるBaima-Dee(白馬)ではDがほとんど100%となっています。
 Dの主要なサブグループに、D1-M15 D2-M55 D3-P99があり、また多数のクラス分類されてないマイナーなサブグループがあります。
 D1-M15はTibetans Tangut-Chiang Loloに認め、他の東アジアではまれです。
 D2-M55は日本列島全体に分布し、他では認めません。
 D3-P99はTibetansと、チベットと関連の深い四川省や雲南省のPumi族やNaxi族に多く見られます。
 パラグループD*はアンダマン諸島に見られ、アンダマン諸島は少なくとも20000年前には周囲から孤立したと見られています。また、他のD*といえるグループは、Tibet周囲に少し見られます。
 ハプログループDは濃い肌の色が特徴ですが、アイヌは高緯度に適応して薄い肌の色を持っています。
 Dの起源は、北東インド人に見られるYAP+やアンダマン諸島人のD*を根拠に、CT-M168がYAP+などの変化を受けて南アジアでDとなったと示唆されています。この場合、ハプログループEもアジア由来ということになります。
 ハプログループDの、東アジアの南西から日本までの道のりも大きな謎です。これは東アジア経由とスンダランド経由の二つの道筋が考えられまず。
 ある報告ではD-M174は60000年ほど前に他のグループに先駆けて西中国へ移住したとされ、彼らは中国を横断して韓国あるいは台湾経由で日本へ入ったとしています。その痕跡はハプログループOなどの漢族の膨張で消されてしまったと考えています。しかし、D2あるいはその祖先型は東中国では全く見いだすことができません。
 また、後期旧石器時代にはスンダランド全体にDが広がっており、彼らはフィリピン経由で台湾や琉球へ到達できた、と考えることもできます。ただ、現在のフィリピン先住民にDは全く見いだすことができません。この場合フィリピンのDは18000年前ころのC2とKの膨張、あるいはその後のOの移住により消滅したものと考えます。
 いずれにせよ、Dの日本への道筋はまだはっきりしたことは言えません。

・ハプログループ N
 ハプログループOの兄弟であるハプログループNは、北ユーラシアに多く分布します。特にウラル地方の、Finnic Ugric Samoyedic Yukaghir、アルタイや北シベリアのエスキモーなどに認めます。
 これらNは比較的近年である12000~14000年前ころ、反時計回りで東アジア内陸や北シベリアから移住したと考えられ、これにより北東ヨーロッパでの高いNの頻度も説明できます。
 N1a-M128はManchuなどの北中国、Xibe Evenks、韓国、中央アジアのTurkic族の一部に少数見られます。
 N1b-P43は6000~8000年前に分岐したと考えられ、Northern Samoyedsにほぼ限局し、他のウラル、アルタイ諸族に少数認めます。
 N1c-Tatは14000年前ころに中国で出現し、強いボトルネックか創始者効果をシベリアで受け、その後東ヨーロッパへ拡大したと考えられます。
 これらの報告は、Nが南西および東南アジアに起源があることを裏付けます。ハプログループNを含む早期の植民は東南アジアから北ヨーロッパまで大きく大陸を横断しているのです。
 以前、アジアの北の方が南よりハプログループが多く、北の方が多様性が大きいため、アジアは北から南へ植民されたという説がありました。その後、モンゴル、ウイグル、満州族などの北の民族は中央アジア、西ユーラシア、漢族と混合があったため多様性が増大していることがわかり、また過去の報告では南の民族におけるbottleneckの影響を評価していなかった、とされ、その結果北から南への植民説は否定的となっています。
 それでは東アジアにおける、中央アジアあるいは西ユーラシアからの影響はどのように現れているでしょうか。117集団からの3826人のYchrによる解析では、O C D Nはやはり南方由来であるが、中央アジアや西ユーラシアと関連するR-M207 Q-M242は東アジアの北西に出現し、西から東へ多様性が減少することが示されています。これは、約18000年前の北ルートからの移住、および3000年前からのシルクロードによる移住の結果と考えられます。

・Y染色体と言語
 東アジアにおいて、言語は父系の系統であるYchrハプログループおよび常染色体解析と良く相関します。この相関はmtDNAからは見いだすことができません。
 例として、O3a2c1-M134はSino-Tibetan語族と関連し、O2a1-M95はAustro-Asiatic語族と関連します。またHmong-Mien族のAustro-Asiatic話者はO3a2b-M7と関連し、Tai-KadaiのAustronesian話者はO1a-M119と関連します。
 Ychrと言語の強い相関は、いわゆる嫁入り婚が理由のひとつと考えられます。また、両親が別々の言語を持つ場合、一般的に父親の言語が家族の言語になりやすいとの指摘もあります。しかしながら、常染色体解析でも言語との関連が見いだせることを考えれば、母系と言語に全く相関がないと考えることもできません。そのため、mtDNAと言語に関連が見いだせないことはこのような社会的習慣のみで説明されることではなく、おそらく過去のeffective population size(次世代に関与する人数)が女性の方が男性より多いことが影響しています。そのためmtDNAは遺伝子浮動の影響を受けにくく、一方男性は特定の家系が多数の子孫を残すこともあり、遺伝子構成に大きな影響を与えます。
 他の文化的背景、農業、戦争、社会的威信なども遺伝子構成に影響を与えます。文化の伝播にはdemic diffusion modelと言われる人の移動を伴う伝播と、cultural diffusion modelと言われる人の移動をあまり伴わない伝播があります。
 一例として、28の漢族のYchrとmtDNAを調べた研究があります。これによると中国の南北ではYchrの構成比は差がないのに対し、mtDNAには差が認められます。これは、北の人々が戦争や飢餓を逃れて南へ移住したことの結果であり、漢族の北から南への文化の伝播は、demic diffusion modelであり、男性の方が女性より大きな働きをしたことが示されます。

続きます。
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