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fairyism備忘録

現状のところ、人類史および日本への拡散について管理者が学習してゆくブログです。

The Human Genetic History of East Asia について

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The Human Genetic History of East Asia について

The Human Genetic History of East Asia: Weaving a Complex Tapestry
Curr Biol 20:R188(2010)

 2010年にCurrent Biologyでreviewの特集が組まれていたようで、その東アジアに関する部分から読んでみました。
 具体的にどのハプログループがどのように動いたか、のような話はほぼなくて、非常に総括的な話になっています。

 まず、東アジアの非常に多様な環境に触れ、人類移住のバリアとなったのはヒマラヤ山脈だけで、他の地域には人類が広がっていき、その中でどのように今日のような多様性が作られたか考えることが大切、と書いています。
 50000-60000年前にアフリカからの現世人類が到達、12000-14000年前に南シベリアと東ヨーロッパ間で人の往来があり、Sino-Tibetan語グループが北東インドに進出し、15000年前にはベリンギア経由でアメリカへ進出。6000年前に台湾からフィリピンやインドネシアを経由して太平洋の島々とマダガスカルに進出した。としています。
 東アジアへのルートは、南ルートと北ルートがありますが、現在の遺伝子学的な証拠によると、東アジアの人々は明らかに南から北に進出しており、南ルートの方が明白に先行した、としています。しかし、南ルートは50000-100000年前、北ルートは15000-50000年前、と非常に年代に幅をもたせております。また、北から南の限定的な人の動きは当然否定できないものとしています。
 残存する狩猟採集民については、一部は古代から狩猟採集民の生活を維持し東アジア進出当時のDNAを保持しており、一部は一度農耕民になったものが狩猟採集民にもどったものだそうです。
 遺伝子の多様性には社会的な影響がみられます。mtDNAがYchrより地域間の差が少ないのは嫁入り婚のために女性は動くが男性は動かない傾向にあるから、としています。これはタイの嫁入り婚と婿入り婚の民族で比較した研究で明らかにされているそうです。農業に伴う民族移動の影響は大きく、そのために東アジアでは遺伝子の高い均一性があります。農業の伝播による民族の移動は言語族にも現れ、北中国から南中国への移動、南中国から北東インドへの移動に現れています。また、高い身分の男性は多くの子孫を残すことがあり、チンギス・ハンの子孫、清朝の貴族の影響、があるようです。
 mtDNAとYchrだけの研究では遺伝子としては少なく限界があるが、今後遺伝子全体を対象にしたSNPや一部の配列解読の研究によりさらに詳細な研究が可能と考えているようです。また遺伝子による研究はハプログループの詳細な情報が得られるが、それを実際の歴史的民族に当てはめる方法はまだ十分解明されていない、としています。また、分子時計によるハプログループの年齢は、特に以前のものは不正確で、人口推移や分岐の回数、移住の頻度を加味したコンピューターモデルが必要としています。
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